『宣言』


今日は俺にとってもバンドにとっても改めて大事な話しをしたいと思います。
一生懸命伝えてるつもりだけどTwitterには文字制限あるし
流れるしそれじゃ伝わってるのかわからないから、HPにもちゃんと残したいと思います。

それは1ヶ月後から始まる「ロールプレイング現実」ツアー2019の初日
3/30(土)札幌ベッシーホール ワンマンライブに関して。

我々にとってこの北海道初ワンマンは
ツアー初日であり、このあとのツアーファイナルまで走り続けるには必ず
バシッとキメなくてはならない大事な1日。それは勿論のこと。
もうひとつ大きな理由があります。
それにはバンドを始めた頃からの話にさかのぼりますけど何卒お付き合いください。

……

バンドのフロントマン 俺 青木 亞一人は北海道札幌の出身です。
アシュラシンドローム結成後 28歳で初めて上京して、
何度もメンバーチェンジを繰り返し、バンドを軌道に乗せる事ができず、
なんなら いつでも札幌へ帰るタイミングはあったのに 必ず成功してみせると
啖呵を切って出てきたので意地でも帰る事なく 最高のメンバーをいつか見つけて
活動していこいうと、じっくりひっそりと水面下でもがき続けていました。

そんな中 どれだけ荒んだ気持ちになっても当時自分を奮起させるために
頭の中ではライジング・サン・ロックフェスティバル(RSR)で
自分がステージに立って輝いてる様を想像する事が多くなったのです。

なぜRSRなのか。

当時TM NETWORKばかり聞いていた俺が先輩や友達の影響でロックバンドという物に
憧れを持ったのは二十歳前後。

その憧れはどんどん膨らみ、生まれて初めて足を運んだのが
北海道 石狩市が生んだアーティストの大舞台。それがRSR。

普段は何も無い石狩の土地に小さな音楽の村ができていた。
そこで見た素晴らしい景色と、体感した凄まじいLIVEの数々、
そこで浴びる様に飲んだ酒、知りもしない人達と確かに音楽のみで
繋がったあの瞬間と思い出。

散々楽しんでズタボロになって帰って来てすぐ思った。

『あの ステージに立ちてぇ』と。

今までまともに夢なんか持った事無かった俺なのに、
この願望は直感で今後生きてく上で確たる物になるだろうと思った。

そのRSR体験から俺のバンドライフが始まった。
札幌はススキノ付近でずっと活動していたけど、
当時は目の前にあるLIVEをひたすらこなすだけで右も左もよくわからず、
RSRどころかCDもグッズもまともに作る事すらできなかった。
何より無知だった。RSRがどれほど遠くにある存在なのか知らなかった。

月日は流れそのバンドは解散し、当時のメンバーが今ではRSRを運営する側に回った。
親友の岩井。マイメン岩井である。

どっぷりバンドにはまった俺は、すぐに仲間内で新しいバンドを結成した。
それが今のアシュラシンドロームのはじまり。

俺はRSRの事ばかりが頭を支配して、
そして、とにかく北海道で活動しなければならないと考えたが当時のメンバーに
諭され上京。

因みに、打首獄門同好会と初めて対バンしたのがこの辺り。

考えを一新、
ここから全てが始まると意気込んだが、程なくして俺以外のメンバーは辞めてしまった。
路頭に迷い、東京中野新橋を彷徨ったある日たまたまコンビニで出くわしたのが、
先輩バンドのギタリスト、今のアシュラシンドロームのギターであるNAGAである。

なんか道が開けた気がした。

その後、二人でアシュラシンドロームとして何とか活動を続け、
確実に動員は増えていって本当に嬉しかった。

この頃にはやっとこの俺にでもバンドとRSRとの距離関係がわかってきた。
遥か遠く、手に届かず、双眼鏡でも捉えられないという事が。

そこから数年。
カズマ、ナオキというメンバーに恵まれ
ようやく四人体制となり、昔に比べりゃありがたいくらい
沢山サーキットやフェスにも出演させて頂けるようになってきた。

そして、ある日 俺にとっては重大な人生の分岐点となる事件が起きた。

それは2017年 打首獄門同好会 RSR 出演。

その時俺は、打首獄門同好会のインターネット番組での企画に出演していた為、
現地で共に行動させてもらう事ができた。
フード出店に関わる仕事だが、俺は心の底から内部の人間として関われたのが嬉しかった。
そしてなんと、、、
打首獄門同好会のゲストボーカルとして数千人の前で歌わせてもらうことができた。
それだけではない、
感無量で立ち去ろうとしたその時、打首獄門同好会 大澤会長から

『待てよ、待つんだ青木くん』と。
『来年の話しもしろよ』て。

普通、無名の人間にここまでしてなんかくれないだろう…
会長の心意気に打ちのめされつつも、俺はその時数千人の前で誓った。

『努力して 必ず来年RSRに出場します』
と。
自分の放った言葉で一気に目が覚めた。

………

しかしその翌年、願いは叶わなかった。
ここでようやくバンドとRSRの明確な距離をやっと学んだ。
何が足りないのかを。
当然バンドの力不足であるが、
そもそもRSRが開催される北海道での実績が足りてなかった。
北海道発のバンド アシュラシンドロームなのに、その北海道での実績が足りてなかった。

………

そして去年だ。

2018年8月19日 打首獄門同好会×アシュラシンドローム Zepp札幌2マンLIVE。

打首獄門同好会、お客さん の立ち会いのもと
俺たちは ライブを始める前に改めて宣言したのです。

『来年 RSR に必ず出場するぞ』と。

そして LIVE終盤、サプライズが起こった。
ステージのスクリーンに現れたのは敬愛するTM NETWORKの木根さんだった。

俺宛のビデオメッセージ。
『頑張ってれば叶う』

TM NETWORKは俺からすると神様同然。
溢れる涙と パニックに陥りそうになりながらも、これまたサプライズで始まった曲
「GET WILD」を歌い切り、その時心の中で再度 心臓に刻み込んだのです。

『ぜってー来年出てやる』
と。

ここまで 沢山の方に立ち会ってもらって
今年もRSRに出れなかった なんていうオチはもう選択肢に無い。

………

そして今。
アシュラシンドローム史上最高のアルバムが完成した。
これを持って、ツアー初日3月30日の札幌ベッシーホール 初ワンマンに挑む。

ベッシーホールってのは札幌のライブハウスでも歴史のある由緒正しきハコで、
ここをパンパンにしてワンマンを大成功におさめるという実績を残せれば
RSRの切符を手にできる可能性は今までより格段にあがる。

俺たちはこの3月30日札幌ベッシーホール ワンマンをなんとしても大成功させて
その先に駒を進めたいと思ってます。

全国の皆様、北海道の皆様、
何卒 この大勝負に力をかしてほしい。

3月30日 札幌ベッシーホールに是非来てほしい!後悔はさせない!